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朗読 源氏物語 「紫の上 月の露」 by 木もれ日&仏語
IMG_7031枝垂桜
府庁中庭の枝垂れ桜

 昨年は満開の中での一般公開だった京都府庁旧本館中庭の枝垂れ桜。今年は真ん中の枝垂れは早くに散ってしまった。しかし、その脇を固めていた紅枝垂れは見頃を迎えた中、朗読会は行われた。

 場所は知っている、旧本館正庁、前回と同じ部屋だ。しかしきっと知らなくてもたどり着ける。上品なお香の香りをたどっていけば大丈夫。お香は薫香:香老舗「松栄堂」さんのお香。

IMG_7608金屏風
金屏風
 今回は舞台ではなく、金屏風の置かれた赤い絨毯だった。早めに入ったのでまだ人はちらほら。一番前の真ん中に空席を見つけ、場所を確保した。演出が入ると言うことでどのような登場の仕方だろう、など、様々な思いが走る。そして開演を迎えた。
 ナレーターの高橋さんを先頭に、京言葉を朗読される上川さん、そして仏語のマリィーポール・バスレさんが、サイド右手のドアから静かに歩んで屏風の前を通り所定の位置へ。

IMG_7050ナレーション

IMG_7052京言葉 若紫

IMG_7055仏語 朗読


 初めの上演が京言葉による朗読。今回は「若紫」、古典の教科書にも出ている有名な場面。私も好きなところだ。高校生の頃学んだあの頃が甦る。そして現代訳で読んだ寂聴さんの顔が頭をよぎる。そしてはんなりとした京言葉はなんとも優しい響きで、母や祖母が幼い子供におとぎ話を読んで聴かせるような、そのようなまったりとした心地よい気分に誘われる。
 仏語は全く理解できない私だが、多分フランス人の方が京言葉を耳にしたとき、我々が仏語を聞いたときと同じような心地よい響きに聞こえるのではないだろうか。仏語の響きは小鳥がさえずるようだとも言う。だからこれが仏語であって、英語でない理由だと思う。

IMG_7621六条御息所
左から六条御息所・紫の上・源氏の君

 いよいよ朗読劇。仏語の朗読をされる方の前にはマイクがある。しかし、他の方々の前にはマイクはなく、しずしずと立ち並ぶ。しかしマイクがない分、ちょっとした立ち振る舞いを演技することができ、その場の臨場感が上がる。ふと手を差し延べたり、視線を向けるだけでついそちらへつられて、その視線の先に目をやってしまう。朗読劇とはよく言ったもので、大きな舞台で演劇を観覧しているように思える迫力だった。
 時々目を閉じてみた。すると、ますます彼女らの声が映像と感情の流れになって、私の内なるものの中へ入ってきた。
 素晴らしい演出だと思った。

 
 今、紫の上は病の床にある。死を目前にしてこれまでの人生を振り返る。そんな紫の上に怨霊として現れる六条御息所。病に冒されか細い声で語る紫の上、その彼女に激しい感情で襲いかかるが、六条御息所もか弱く憐れな女の一人に過ぎない。七つも年下の男の愛を受け入れてしまった自分の浅はかさを嘆くばかり。それだけ源氏が素晴らしかったのだろう。紫も六条御息所もそれをよく理解しているがために、どちらもがお互いの苦しみを悲しむのだ。深い愛のため六条御息所は怨霊となり、紫はそれを深い慈悲の心で受け止める。怨霊となって苦しめるが、紫はそれでも帰ってこない源氏を一人寂しく待つことの方が、辛く悲しいことであったのだ。怨霊でさえ寂しさを紛らわせる相手になって欲しかったとは、いかに紫の上が寂しい思いをしていたことがよくわかるというものだ。

 そのような辛い寂しさを一番理解していたのが、何を隠そうこの六条御息所。同じ苦しみをわかっているが故に紫を哀れみ、怨霊という姿ではあったが紫の枕元に立ったのだ。知らず知らずのうちに二人は呼び合っていた。それを紫は直ぐに受け入れたが、六条御息所はわかっていながらそれを受け入れようとしなかった。振り向いてもらえなくなった女の悔しさと悲しみのせいだ。きっと紫に心の内を聞いて欲しいと、どこか深いところで思っていたに違いない。
 それを紫に指摘され、癒されていく。そして闇のようだった心が晴れていき浄化された彼女は、もうここには来ないと告げ、去っていくのだ・・・

IMG_7630明石の上
明石の方
 明石の方が受けた子供を手放すという辛い仕打ちは、子供を持つ女性なら誰もが共感する辛さだろう。しかし芯の強い明石の方だからこそ正妻の紫の上の元へと、ちい姫を送り出す。所詮自分は身分が低いのだからと諦めはしていても、決して卑屈にはならない。とても控えめだが、かといってどうせ私などは・・・、と源氏を困らせもしない。きっと源氏より明石の方の方がずっと大人だろう。源氏は出世権力のため、自分に都合よくいくようにちい姫を引き取り子供がなくて寂しがっている紫に預けるという体裁を取り、その実、紫の上のご機嫌取りをしたのだ。一石二鳥というところか。

 紫の上はわかっていたに違いない。幼い頃からずっと彼を見てきたのだから。欺された振りをして、彼女は念願だった可愛らしい子供を手に入れた。なんと皮肉なことか。だから紫は明石の方が辛い思いをしていることを充分にわかっていながら、あえて気づかないふりをしてしまったのだ。それは思いくびきとなって常に重くのし掛かる。明石の方には一生かかっても返すことのできない借りとなった。だが、強く賢明な母である明石の方は、そんな紫を憎んではいない。第一に子供の幸せを考える母親らしい母親なのだ。子供のいる幸せを知っている明石の方は、そんな紫の辛い心情をわかっていた。だから初めて対面したときから二人は心を通わせることができたのだ。

IMG_7635源氏
嘆きの源氏

 このような大人である女たちの間でおろおろするばかりの源氏。内裏の中では手練れの彼は顔立ちもよく、芸能にも優れた公達は余りにも素直すぎたのだろう。幼くして亡くした母を、どこかで女たちに求めていたのだ。唯一女たち中では自分自身になれた。女たちは源氏に愛されたもの同士、自分の影を相手に投影していたのだ。そして源氏の奥にかいま見える幼子の姿に、女として(母として)受け入れてしまうのは、やはりそこが悲しい女の性(さが)なのだろう。

 紫の上を失った源氏は見る影もないほどに嘆き悲しむ。その演技は演技を超え、今そこに源氏の君が悲しみに打ちのめされ号泣しているのと見ているようだ。

 愛するものを失った悲しみは、帰る場所をなくしたものが味わう喪失感と同じなのだ。人は誰もそれに気がついていない。

IMG_7012すみれ
すみれ

 新たな感動と解釈の中、こうして見事な朗読劇は静かに幕を下ろし、新たな道へと歩んでいく。 

 帰宅してから脱いだジャケットから、長くお香の香りが漂っていた。
 
【2008/04/12 23:53】 イベント | トラックバック(0) | コメント(2) | Page top↑
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コメント
Bakoさん、こんばんは。
今回もとてもよい朗読を聞かせて頂いてきました。聞くたびにいろいろ考えが浮かんできますね。
レポートのみでその場の臨場感を出すのも、結構難しいものです。
【2008/04/13 21:36】 URL | 阿修羅王 #QmhNi1cU[ 編集]
目に浮かびます。
まるで私もその場にいるような〜
深いところまで読み解いて・・・酔いしれました。
あーちゃん訳で「源氏物語」読みたいな!
【2008/04/13 13:45】 URL | Bako #1jhbtX.k[ 編集]
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